表題は認知症を学ぶときになんども出てきたワードだ。
認知症といえば、記憶力の低下が代表的なものと思う。
「記憶があいまいになる」、これは認知症予備軍の私もすでに経験する。
この物忘れ現象の日常の一コマで自分のなかの感情にフォーカスし、ひもとき作業をしてみようとおもう。
紛失編①
失くしモノにもよるがよくあるパターン
『また●●が勝手に使って元の場所に戻しとらん』と勝手に怒。我が家の場合にとくにターゲットになりやすい息子がいる(笑)
紛失編②
絶対自分しか使わない、さらに最近使った記憶があるものの場合、失くしものの捜索に全集中(焦り)だが案外探し物は頭の上にあったりする(老眼鏡)。物忘れそのものへの不安
物忘れにまつわるあれこれ、これを感情面でフォーカスしてみると勝手に扱われて元に戻していないという『怒り』だったり、あったものがなくなるという『不安』だったり、『焦り』ということがあげられる。
※ここで感情面にフォーカスするのは認知症になった場合でも感情面、感覚は残るといわれているから。
いわゆる認知症の方のよくある症状に当てはめてみると・・。
『食べたのにたべてない』とか『おしっこいったばかりなのにまたおしっこ』とか。周囲からすると困った行動ととられがちな代表選手。
食べたのにたべてない事案 当の本人からするとたべてない!!が現実。
⇒記憶の現実からいろんなものが引き算(抜け落ち)されてしまい周囲からすると困った行動にみえる。
本人のたべてないという世界を少し想像してみる。
これ逃したら2.3日また食べるものにありつけないかもしれない・・
食糧危機への恐怖 はいいすぎかもしれないが戦後しっかりいきぬいてきた大先輩なのだ。
たべること、たべものに対しての価値観は我々がおしつけられないものをもっている可能性大。どんな世界を生きておられるのかますます興味がわいてくる。
トイレに今行ったばかりなのにまた、事案
もしかしたら時間感覚の違いがあるのかもしれない。我々が感じる1分はもしかしたら1時間かも・・。もしそうだとしたら『今いったばかりですよ』は通用しない。行った、行ってないのやりとりだと平行線であることがわかる。
それどころか正論だと信じているものを否定するわけなのでだます、だまされる(恐怖、怒り、不安)に発展することもあるかもしれない。
二次障害(昔は問題行動ともいっていた)はよく対応次第といわれる根拠がいまごろ腑に落ちる。
「いまをいきる」認知症のかたの世界に少し想像力を膨らませると、相手への関心や理解につながる。
「いまをいきる」方にとって穏やかになれることばかけはなんなのかその瞬間その瞬間、感覚をとぎすませて探求しつづけたい。
感情豊かな方々と日々すごさせていただくことで自分自身の感覚をみがいていける介護って素敵なしごとだなって改めて思う。
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